川端茅舎

朝日文庫の『現代俳句の世界3 川端茅舎・松本たかし集』を書棚から抜き、通勤時間に読む。川端茅舎は、第一句集「川端茅舎句集」が圧倒的によく、「華厳」以降は有名な句も散見するが力が衰え、マンネリ化と病気の境涯を読むような句が多くなっていく。しかし生涯に1句でも後世に残る句が詠めればたいしたものだから、高浜虚子に「花鳥諷詠真骨頂漢」と言わせた川端茅舎の業績はいささかも揺らぐものではない。

 

漣(さざなみ)の中に動かず蛙の目

 

川端茅舎の句。

家の前には林があり、この時期鳥の囀(さえず)りで賑やかになる。鳥の声が判別できれば楽しいだろうが、声が違うとわかるくらいのこと。鳥のオスは大変だ、縄張り宣言をし、メスに求愛をし、ああ忙しい。

 

囀をこぼさじと抱く大樹かな

 

星野立子の句。

春うらら

散歩道の田圃が掘り起こされて田植えに向けた準備が始まっている。そういえば、元気に鳴く蛙の声も雨のあとに聞いたな。畑には、エンドウがもう白い花を咲かせている。我が家のエンドウは蔓が伸び始めたところです。

桜が咲いたなと思っていたら、自然界は初夏へ向かって歩みを進めているのだね。家の庭の雑草も背丈が伸びてきたし、来週は草取りもしなくては。

 

目覚めればエンドウの花咲きにけり

海街

吉田秋生の『海街diary8』を読了。累計320万部突破、吉田秋生は画業40周年とある。そうか、もうそんなになるのか。「桜の園」あたりからの読者だから、これも長い付き合いではある。最近の絵は、タッチが柔らかく円熟味の境地というべきか。ストーリー展開も、ごく自然に入っていける。この漫画も、どこへ読者を連れていくのか楽しみな作品の一つ。

 

翔てば野の光となりて春の鳥

 

長瀬きよ子の句。

啄木忌

昨日4月13日は、石川啄木の命日で「啄木忌」。
小学校の担任の先生が啄木が好きで、授業で短歌を教えてくれた。その影響を受けて、「一握の砂」「悲しき玩具」読みました。昔の文学青年に啄木は必須アイテムだったが、今啄木は読まれるのだろうか。


便所より青空見えて啄木忌

寺山修司の句。

「俳句の変革者たち」青木亮人

会社の帰りに、ふらふらと「ちくさ正文館」へ立ち寄る。この本屋へ行くと必ず知らない本と出会い、衝動的に購入してしまう。今日は雑誌1、文庫2のお買い物。

NHKカルチャーラジオのテキスト「俳句の変革者たち 正岡子規から俳句甲子園まで」(青木亮人)を購入。著者は「その眼、俳人につき」で刺激的な評論を書いたが、本書も好著。子規の俳句革新がどう新しく、俳句がいかに変わったのかを具体的に説明してよくわかる。フーンとうなずくことしきりである。まだ途中だが、楽しい読書ができそう。

 

秋燕の記憶薄れて空ばかり

 

生駒大輔の句。本書の最終ページに載せられている。