高野素十の「おツかなさ」

青木亮人『その眼、俳人につき』(邑書林)を読み終える。新鮮な視点が、なかなか刺激的で面白い。

高野素十を論じた「素焼きの「おツかなさ」」で、川端茅舎と中村草田男の対談が抜粋されており、中村草田男が、素十は「おツかない」句をつくると発言しているのが印象的。論考にあるように、素十の俳句には「純度の高い結晶体」といえる句がある。眼前の事象を詠んで意味付けをせずそのままの句が、強烈な存在感を放って迫ってくるのだ。特に第一句集『初鴉』の句群は、すごいの一語。

高野素十は1893年生、茨城県出身水原秋桜子の勧めで俳句を始める。高浜虚子の唱導する客観写生を実践、昭和初期4Sの一人として活躍した。昭和32年「芹」創刊主宰。


「ひつぱれる糸まつすぐや甲虫」

「漂へる手袋のある運河かな」

「大榾をかへせば裏は一面火」


昨年10月に365日入門シリーズ⑦『素十の一句』(ふらんす堂)が出た。


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