村越化石が逝去

3月8日、村越化石が老衰により91歳で逝去。静岡県藤枝市出身。

16歳でハンセン病にかかり、離郷を余儀なくされる。かつて一部の感染症の病気は、他者への感染を理由に強制的に隔離された。当時「癩病」と呼ばれたハンセン病もそういう病気で、不治の病とされ長い間偏見があった。1941年に結婚した妻と群馬県草津町の国立療養所栗生楽泉園に入所。大野林火に師事。新薬プロミンにより命拾いするも後遺症に苦しみ、1970年には失明して全盲となる。生命を凝視した俳句を作り続け「魂の俳人」と呼ばれた。

2013年卒寿記念の自選句集『籠枕』が刊行され、購入して読んだ。俳句が人を救い、救われた人の俳句が、われわれを励まし感動を呼び起こす。俳句って凄い。

 

「除夜の湯に肌触れ合へり生くるべし」

「生き堪へて七夕の文字太く書く」

「縁たつ母・姉・義兄よ長暇(ながいとま)」

「闘うて鷹のゑぐりし深雪なり」

「永き日のうしろへ道の伸びてをり」

「物として寒の畳に座しゐたり」

「生きてゐることに合掌柏餅」

「諦めず生き来し命地虫出づ」

 

苦難の極みを雄々しく生きた生涯だった。合掌。