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小鳥狩と恵那

私は「南風」(村上鞆彦、津川絵理子共同代表)の会員であり、2月号に掲載されている「小鳥狩と恵那」のタイトルで書いたエッセイを再録します。

 

 季語には、地域の行事、習俗と関連の強い季語がある。私が住む岐阜県でいえば代表的な季語は「鵜飼」であろう。長良川で毎年5月11日解禁となり10月15日まで漁が行われる鵜飼は、松尾芭蕉の「おもしろうてやがてかなしき鵜舟哉」の句をはじめとして、様々な俳人が俳句に詠んできた。
 そしてもう一つ岐阜県と関係深い季語がある。鵜飼は鮎漁で川が舞台であるが、山を舞台とした鳥の狩猟の季語である「小鳥狩」だ。岐阜県は大きく飛騨と美濃に分かれ、美濃地方東部の木曽川流域の山間部である中津川・恵那地域を中心に、貴重なタンパク源として秋期にツグミなどの渡り鳥を捕獲する鳥猟が盛んに行われていた。現在では、野鳥保護の観点から、ツグミのカスミ網猟は狩猟法により全面的に禁止されているため、「小鳥狩」を見かけることは無くなった。 
 高浜虚子の『五百句』に「小鳥狩」が出ている。大正時代の俳句で「大空に又わき出でし小鳥かな」「木曾川の今こそ光れ渡り鳥」二句の添え書きには、「大正五年十一月六日、恵那中津川に小鳥狩を見る。」と記されている。私は、恵那市の隣にある瑞浪市に居住しており、虚子が小鳥狩見物に来てこの句を残していったのかと親近感を覚えるのである。
 阿波野青畝にも『紅葉の賀』に、昭和29年「恵那小鳥狩」と小題をつけ「小鳥焼く十八娘恵那生れ」「渡鳥馬籠をさして高うねり」など6句が収録されている。
 霞網(カスミアミ)と呼ばれる細い糸の網を、山中に張り巡らし、鳥かごに囮の小鳥を入れて鳴かせておびき寄せ、「追竿」(オイザオ)という竹の竿に赤い布切れをつけて、草叢や木を叩いて音を立てて鳥を驚かせ霞網の張ってある方へ追い込むのである。霞網にぶつかり動顛した小鳥は反射的に網を足でつかむ。鳥は本能的に足でつかんだものを蹴って空中に飛び出し羽ばたくが、細い糸で作られた網では必要な反動が得られず、いつまでも網をつかんでは蹴る動作を繰り返して衰弱していき、足や羽根をからませ捕獲されることになる。山中には狩猟のための「鳥屋」(トヤ)と呼ばれる小屋があり、寝泊したり、その場で料理して饗応したりしていた。小鳥は羽根を全部むしり、内臓を出して串刺しにして炙りながら焼き、醤油をベースにしたタレにつけて二度焼きにする。基本的に街の焼鳥屋と調理方法は同じである。
 松本たかしにも小鳥狩の俳句がある。『松本たかし句集』の最後にある「恵那十日句録」に「大霧の霽れかかるより小鳥狩」「それぞれの座布団もつて鳥屋を見に」「刈込みし山美しや小鳥網」など十数句が収録してある。たかしにとっては小鳥狩が大変珍しく感興をそそられ、体験したことを俳句で記録しようとしたのだろう。最後に苗木塚本哄堂邸滞在とあるので、現在の中津川市苗木町の近辺の山で小鳥狩をしたものと思われる。 
 さて「恵那」の地名についてであるが、奈良時代土岐郡を分割して美濃国恵奈(かつては恵奈と表記)郡が設置され、当時は現在の長野県木曽郡全域も含まれていた。現在は、恵那市中津川市の二行政区に分かれているが、歴史的には両市を含む広い地域を恵那と呼んでいたのである。したがって現在の恵那市と恵那が同一ということではない。だから恵那山は、中津川市にあるが恵那山と呼ばれるのである。久保田万太郎の『流寓抄』の島崎藤村の生家がある馬籠来訪時に詠んだ句で「芒、穂にいでゝ恵那いま雲の中」があるが、「恵那」の地名が使われているのは、そうした歴史がある呼び方なのである。蛇足だが、平成の大合併により馬籠宿のある山口村は、中津川市に編入され長野県から岐阜県に移った。
 「小鳥狩」の季語は、小鳥の狩猟行為そのものが禁止され無くなっている現在、関連の「小鳥網」「霞網」「鳥屋師」などの言葉と共にやがて消えていくのであろう。絶滅寸前の季語として、ここに記録するものである。