子規の「写生」

昨日に続き、今井聖の『言葉となればもう古し』より。「第2章リアルの系譜—子規から楸邨へ」の<「写生」と「花鳥諷詠」>の文章を引用する。

 

人は限りある「存在」の瞬間を、見えるもの、聞こえた音、匂い、味覚、感じられる触感の中で実感し、そこに自己を永遠に刻印したい欲求を持つのではないか。子規の「写生」とは、目に映る万象の中の一つ一つに自分が生きて存在したことの確認とその痕跡を記したいという欲求そのものであった。

 

永遠に刻印したいかはともかく、自分はこう見たと言いたい欲求はある。それは限りない自己確認の作業なのかもしれない。

 

鶏頭のまだいとけなき野分かな

 

『仰臥漫録』所収の子規の句。