石牟礼道子の俳句

祈るべき天とおもえど天の病む

 

さくらさくらわが不知火はひかり凪

 

死化粧嫋々として山すすき

 

季語がないとか、字余りであるとか、そのような批判はこの作者と無縁である。乾坤に石牟礼道子詩語が響き渡るのであって、この人の「一行の力」は日本国内のいわゆる俳人の評価基準と全くかかわりがないのである。一行の一字一句にこもる無限大の禱りと詩魂。その世界をまるごと享受することこそ、肝要なのではないかと思う。

(黒田杏子「石牟礼さんと寂聴さん」より)

 

俳句とは、作者名がなくても自立して成立すべきものとする論がある。作品は作者と不可分、一体のもの。石牟礼道子の詠んだ句であるからこそ人は読むのである。