長谷川櫂「月」五十句より

所属する「南風」では、発表された現代俳句を対象に、感銘を受けた句1句、物申したい1句を選び鑑賞している。今年は、評者に選ばれ拙稿を掲載してもらった。「南風」の「競読 現代の俳句」原稿の再録です。

 

長谷川櫂「月」五十句(「俳句」平成29年10月号)より。

 

秋風やどうと真鯉を横倒し


今まで泳いでいた水中から取り出され、調理台の上に置かれた真鯉。「どうと」が真鯉の量感とともに、無造作に放るように置かれたことを感じさせる。これに対応する「横倒し」は、水中にある鯉が決して取らない体勢であり、鯉を襲った不条理な運命を表す。真鯉が調理されて生命を奪われる過酷な未来の一歩手前の瞬間が鮮やかに切り取られた。秋風の季語が、鯉を調理する日常風景をハードボイルドな風景に転換するのに力を添えている。


月孤独地球孤独や相照らす


月は孤独なのか。はたまた地球は孤独なのか。孤独感を感じているのはいったい誰なのだろう。「孤独」という強い感情を表す漢字を使った断定が繰り返される。実感のない孤独の文字だけが浮遊し、読み手は放り出されて、共感する術もない。惑星を詠んで宇宙を感じる大柄な俳句を意図したのかもしれないが、書き割りのような絵でしかないのは、思いつきの言葉遊びにすぎず、作者の孤独感が切実なものでないからに他ならない。