星野高士「一輛」二十一句より

「南風」の「競読 現代の俳句」原稿の再録、これで最後です。
星野高士「一輛」二十一句(「俳句」平成30年8月号)より。

 

一輌といへど鉄路や蛇苺


旅先で乗車したのか見かけたのか、運航している車両が一輌しかない地方の鉄道路線。一輌だけしかないけれどれっきとした鉄道だという意地とプライドが「いへど」の言葉を通じ伝わってくる。これに取り合わせられているのが蛇苺。苺だが蛇と頭に付けられて敬遠されている蛇苺もまた孤高の姿勢を感じる植物。ともに小さく主流ではないが、確たる存在感をシンクロして醸し出している。


台本に蠅の止まりて余白なし


台本に蠅が止まったため余白が無くなったという句意だが、「余白なし」が引っ掛かる。無数の蠅ががたかるのなら余白も無くなるだろうが、一匹の蠅が止まった光景としては誇張しすぎ。「余白なし」が、台本を見ながら本番を待つ心理状態の隠喩表現であるならば、「余白」は心理的な余裕を意味する言葉なのだろうか。明快に断定されているにも関わらず、読者は作者の意図を汲むことができず、置いてきぼりにされている。