学問

学問のさびしさに堪へ炭をつぐ


『凍港』(昭和7年)の山口誓子の有名な句。学問という言葉、福沢諭吉の『学問のすすめ』でひろまったが、もはや死語。使用されているのを見かけない。誓子の勉強していたのは法律書だろうから、味気なさも一際だったろう。さびしさではなく、胸に去来するものはむなしさだったのかもしれない。自らたてた課題の探究ならば、知る喜びがありぼやく必要もない。強制感が孤独な作業をさらにわびしいものにする。