『能村登四郎の百句』
ずいぶん前に予約した『能村登四郎の百句』(ふらんす堂)が届き読み始める。著者は、息子の能村研三。親子がともに俳人で、親の俳句を選び解説するのは、本シリーズでも後藤夜半を後藤比奈夫、角川源義を角川春樹がある。親子だからこその話が読めて楽しい。膨大な数の俳句から百句選び出すのは大変だろうが、順に読んでいくと能村登四郎その人が立ち上がってくる。会ったことも無い人の息づかいが聞こえてくるようだ。子供を2人亡くし、教師として奉職し、俳句に情熱を注いだ明治の硬骨漢がいる。石田波郷が結社誌を持てと勧めてくれてよかった。能村登四郎の『沖』は多くの俳人を育てた。俳句界を牽引していく才能と見た波郷の慧眼に感服する。
月明に我立つ他は箒草
平成12年『羽化』所収の句。
黒田杏子『木の椅子』
コールサック社から出た黒田杏子の第一句集の増補新装版『木の椅子』を読了する。句集が再度発売されることなど、まずない。なぜなら句集は売れないのである。『木の椅子』は、平成2年に新装版で牧羊社から出され、今回3回目の出版である。句集の質の高さ、作者の人気の高さがなければ、こんなことはありえない。今回の出版は、黒田杏子が現代俳句大賞を受賞したからだろうが、彼女の俳句に全身全霊で打ち込み、多角的な活動があってこそだろう。第一句集には作者の全てが出ている。黒田杏子のその後の展開がうかがえる、気持ちのいい句集である。
磨崖佛おほむらさきを放ちけり
『木の椅子』より。
コールサック社
『新潮』を探し歩いたことは昨日書いたが、せっかくきたのだからと、俳句本コーナーも物色することになる。その結果、照井翠『竜宮』『泥天使』、黒田杏子『木の椅子』の句集を購入。出版社はいずれも、コールサック社。そういえば永瀬十悟の句集『フクシマ』『三日月湖』もこの出版社から出ていた。どんな出版社なのだろうとHPを覗いてみる。
(コールサック社HP抜粋)
コールサック社は、石炭屋の息子であった鈴木比佐雄が1987年12月に詩誌「COAL SACK」(石炭袋)を編集・発行する個人の出版社として発足しました。「石炭袋」という言葉は宮沢賢治の童話『銀河鉄道の夜』に出てきますが、ブラックホールや暗黒星雲のことです。賢治は異次元の入口というか「ほんたうのさいはひ」(本当の幸い)の入口だと考えて、みんなでその「石炭袋」をめざそうと志していたのです。この詩誌の当初のねらいは、そんな宮沢賢治のような詩的精神を持った志の高い詩人たちを発見し、そんな詩人たちの原石のような詩群を「石炭袋」という大きな袋に詰め込みたいと願ったことでした。
詩歌関係の本の出版で、生き残っていくのは大変なことだろうと推察する。頑張っていい本を出してください。
寒昴たれも誰かのただひとり
照井翠の句。
『新潮』が見つからない!
令和3年2月号の文芸誌『新潮』を探し回った。なぜ『新潮』かというと、筒井康隆が昨年亡くした一人息子の伸輔について書いた小説「川のほとり」が読みたかったから。最初は地元の三洋堂書店にいくが無い。売れない文芸誌は置いてないかと思い名古屋で探すことに。別の日に、ゲートタワーの三省堂書店にいくが無い。その足でジュンク堂書店名古屋駅店へ、店員さんに聞くと売り切れとのこと。さらに別の日に、名古屋市中区栄のジュンク堂書店へ行くが売り切れ。丸善もやはり無いのである。『小説新潮』や他の文芸誌はおいてある。おそらくスマホに紹介記事がのったので、私みたいな奴が買いに行ったのだろう。文芸誌だから数冊しかおかないだろうし。なぜアマゾンで買わなかったというと、新刊なのに配送料がかかったから。
さて、どうしよう。手に入らないとなると欲しくなるのが人情。筒井康隆のファンというわけではないが。
ここに居るはずもないのに冬の夜
臼井昭子の句。