草間時彦とサラリーマン俳句
「南風」3月号の掲載原稿の転載です。
俳句人口の高齢化が言われて久しいが、それでもみんながみんな年金生活者というわけではないだろう。少なくとも六十代前半より若い世代は、何らかの職業について働いているはずである。職種はともかくとして、その大多数は、統計資料があるわけではないが、いわゆるサラリーマンと呼ばれる会社員だろうと思われる。しかしながらサラリーマンの生活を詠んだ俳句は実際には数少ない。
サラリーマン俳句の作者としてまず思い浮かぶのは草間時彦である。句集『中年』(昭和四十年)よりサラリーマン俳句を抜き出してみる。季語である「賞与」の句は、サラリーマンの一大関心事であり句数も多い。
冬薔薇や賞与劣りし一詩人
「勤めの身は」の前書がある草間時彦の代表句。
賞与使ひ果しぬ雨の枯葎
おいらん草賞与家計にまぎれ消ゆ
金魚赤し賞与もて人量らるる
賞与得てしばらく富みぬ巴旦杏
花八つ手今年の賞与低からむ
「昇給」「昇進」も重要事項である。
昇給待つ梅雨の雨傘股ばさみ
水仙やひそかに厳と昇給差
昇給の夜の酒荒れて梅雨深む
走り蚊や胸に棘刺す一昇進
そして「人事」の句。
麦茶のむ停年までの日々同じか
まくなぎや左遷おそるる振り払ひ
地方転出すすめられをり風の鵙
石蕗の花学歴の壁越えられず
肩たたき新入社員をぎくりとさす
仕事帰りの飲み屋のサラリーマンの情景。
秋鯖や上司罵るために酔ふ
息白し酔ひてもサラリーマンの貌
春月や酔の握手のサラリーマン
職の他の話題あらずやおでん酒
小川軽舟は『俳句と暮らす』(中公新書)で、草間時彦のサラリーマン俳句を「それぞれ季語が効果的で俳句らしい俳句ではあるのだが、発想がサラリーマンの固定観念に終始していて、サラリーマン川柳とベクトルが一緒のように思われるのだ。食いしん坊俳句はあんなにいきいきしているのに、サラリーマン俳句はサラリーマンのの常識にとらわれていて時彦自身が見えてこない。」ので感心できないと書いている。私は時彦自身が見えてこないとまで言わないが、句想が類型的になっているという意見には同意したい。草間時彦は結核のため高校を中退し二度の応召の後、昭和二十六年に製薬会社三共株式会社に入社、三十一歳だった。昭和時代の賃金設計は学歴別男女別が主流であり、高卒の草間時彦は昇進昇給であからさまな差別を体験し、その不満と反発が句には十分出ていると思う。
青葉木菟職憂くて擁くと知れ
冬雲やサラリーマンの首の鉄鎖
スモッグ濃し大企業下の吾が職よ
草間時彦の祖父は旧制松山中学初代校長、父は鎌倉市長で名家の出自である。55歳で定年退職後は、俳句文学館建設に尽力し、俳人協会事務局長、俳人協会理事長に就任しており実務能力に優れたものがあった。能力があればこそ会社の処遇に対する不満は強かったのである。
サラリーマン俳句の難しさは、会社という営利法人に就職して賃金を得ていることだけが共通点であり、サラリーマンとして従事している仕事の内容が何も見えてこないことだろう。一次産業の自然と関係する職種は俳句と親和性があるとしても、二次・三次産業に従事する者は仕事内容が高度化・専門化・分業化するなかで、仕事そのものが俳句の字数では説明しきれない。「銀行員」「プログラマー」とかの職種名では、第三者が抱く一般的なイメージでしか伝わらない。
もう一つ思うことは、賞与だとか昇進だとか人事や処遇に関係することは、それが妥当なのかどうなのかは第三者にはわからないということである。賞与評価が低くて金額が少なかった、能力のある自分の昇進が遅れた、という事実を句に詠んだとしても、弱者への判官びいき、あるいは同じような体験があるということでの共感は得られるかもしれないがそれ以上のものは何もない。
自己評価と他者評価は差異が当然発生する。自己評価は常に高くなるのが相場である。だから句意が、評価への不満や反発に傾きがちになる。これが評価への満足と感謝を詠んだとするとそれは単なる自己満足の表明にすぎなくなるだろう。かつて井上陽水が「限りないものそれが欲望」と歌ったが、まさに欲望の世界で切りがないのである。それはほとんどのサラリーマンにとって永遠に充足されることのないストレスでしかない。他者評価を軸にしたサラリーマンの哀歓というのは自分評価の未充足に収斂していくため類型的になってしまうのだろう。
草間時彦を批判した小川軽舟も現役サラリーマンとして、その生活を俳句にしている。
サラリーマンあと十年か更衣
梨剝く手サラリーマンを続けよと
職場ぢゆう関西弁や渡り鳥
レタス買へば毎朝レタスわが四月
妻来たる一泊二日石蕗の花
遠ざかる町に家族や立葵
小川軽舟の場合は、サラリーマン生活も末期で銀行から転籍した会社が関西にあり、そこでの単身赴任生活を俳句にしている。生々しい話はないが、自分のサラリーマン生活をさらりと情感豊かに詠んでいる。
冬薔薇や賞与劣りし一詩人
草間時彦は結局この句を越えられなくて、その後サラリーマン俳句に熱意を失ってしまったと小川軽舟は言う。本句は詩人という矜持により認められない逆境に対峙する姿勢が句を成立させている。だが賞与と詩人であることが会社組織において無関係なこともまた現実である。草間時彦は、会社の論理の中で生きざるを得ないサラリーマンの境涯を俳句に詠むことに限界を感じたのだろう。