季語ありやなしや

風が吹く仏来給ふ気配あり


高浜虚子21歳の時に、ピストル自殺した従弟の藤野古白の旧居での句会で詠まれた句である。お盆の時期に吹く風に、故人の霊が帰って来たような感興を覚えたということだろう。角川文庫『覚えておきたい虚子の名句200』には、季語を「盆(秋)」と表記されているが、拡大解釈というものであろう。季題にこだわった虚子が無季俳句を詠むはずがないという先入観なのか。21歳の若者が、素直な気持ちを詠んだら季語が無かったということではないか。虚子は藤野古白への思いから、この句を捨てがたかったのだと考える。私は無季俳句と思うが、どうだろう。