オイル交換
車の表示ランプにオイル交換が点灯。XVに乗っているので岐阜スバルに持ち込み、定期点検とオイル交換をしてもらう。バッテリーも次回の点検時には換えたほうがいいですよと言われる。使っていれば、オイルもバッテリーも交換が必要になるのは仕方がないか。
自分の身体は交換という訳にはいかないので、帰りに土岐よりみち温泉で、お手入れ。だいぶガタがきてますが、まだ動いてもらわないと困る。
われらみな生の側にて悴めり
小坂順子の句。
物忘れ
最近なにかと忘れ物をする。昨日は、部分入れ歯をし忘れ、一昨日は時計をしないまま出勤。その前日は、壁にかけていたコートを着ないまま家を出て駅で気付いた。人の名前は出てこないのはよくある話し。いよいよボケてしまうのだろうか。この三日間の忘れ物は、別に困るわけでも人に迷惑をかけるわけでもないし、まあいいか。みんな忘れてしまうほうが幸せかもしれない。
あれあれと指示代名詞年の暮
昔よんだ句。
水洟
寒くなると風邪をひく。TVに風邪のCMが増えた。通勤電車の車両も鼻水をすする音が絶えない。これで風邪をひかないのは、ありえない。マスクをして人様に迷惑かけないようにするしかないね。
水洟やお茶碗ひとつ箸一ぜん
後藤綾子の句。面白い。
子規の「写生」
昨日に続き、今井聖の『言葉となればもう古し』より。「第2章リアルの系譜—子規から楸邨へ」の<「写生」と「花鳥諷詠」>の文章を引用する。
人は限りある「存在」の瞬間を、見えるもの、聞こえた音、匂い、味覚、感じられる触感の中で実感し、そこに自己を永遠に刻印したい欲求を持つのではないか。子規の「写生」とは、目に映る万象の中の一つ一つに自分が生きて存在したことの確認とその痕跡を記したいという欲求そのものであった。
永遠に刻印したいかはともかく、自分はこう見たと言いたい欲求はある。それは限りない自己確認の作業なのかもしれない。
鶏頭のまだいとけなき野分かな
『仰臥漫録』所収の子規の句。