2015-06-01から1ヶ月間の記事一覧
【虚子探訪(126)】 「夙(と)くくれし志やな蕗の薹」 大正15年2月。元(はじめ)未亡人蕗の薹を齎(もたら)す。「夙(と)く」は朝早くの意。早朝に蕗の薹をいただいたよ,ありがとうございます、という句。 「古椿ここだく落ちて齢かな」 大正15年2月13日。田村木…
【虚子探訪(125)】 「佇めば落葉ささやく日向かな」 大正14年11月。日向でたたずんでいると、地面の落葉がささやきかけてくるようだ。暖かな秋の一日。 「かりに著(き)る女の羽織玉子酒」 大正15年1月。風邪をひいて玉子酒をつくろうとしているのか、もらっ…
【虚子探訪(124)】 「我声の吹き飛び聞ゆ野分かな」 大正14年10月。自分の声も吹き飛んで聞こえる、強風の荒れ狂う台風の日。 「父母の夜長くおはし給ふらん」 大正14年10月。「夜長」は秋の季語。父母のことを追想して、夜は静かに更けていく。
【虚子探訪(123)】 「紅さして寝冷の顔をつくろひぬ」 大正14年6(7?)月。寝起きの女の顔は寝冷えをして青白い顔になっていたのだろう。紅をさして、化粧で生気を取り繕ったのである。 「美人絵の団扇持ちたる老師かな」 大正14年6(7?)月。老師の手に持って…
【虚子探訪(122)】 「墓生きて我を迎へぬ久しぶり」 大正14年5月26日。松山滞在。老兄と共に墓参。 実家の墓参りは懐かしく、お墓が何か語りかけて来るような気がしたのである。「久しぶり」とそれに応えてみたのである。先祖との温かな心の交流が感じられる…
【虚子探訪(121)】 「雨風に任せて悼(いた)む牡丹かな」 大正14年5月17日。大阪にあり。毎日俳句大会。会衆八百。 雨風にさらされて、傷つきそこなわれていく牡丹の花。非情で冷静なまなざしの写生句。 「競べ馬一騎遊びてはじまらず」 大正14年5月22日。道…
【虚子探訪(120)】 「春宵や柱のかげの小納言」 大正14年3月。春の宵、柱のかげに佇む小納言がいる。貴人は恋人に想いをよせているのか、恋に悩んで 憂いにとらわれているのか。王朝に想いを馳せてつくられた物語俳句。 「白牡丹といふといへども紅ほのか」 …
【虚子探訪(119)】 「草摘(くさつみ)に出し万葉の男かな」 草摘みというと、『万葉集』の時代を連想する。万葉の男は、風雅を愛する男である。 「草を摘む子の野を渡る巨人かな」 大正14年3月。草を摘む子供も、視点を変えれば巨人と見ることもできる。虚子…
【虚子探訪(118)】 「麦踏んで若き我あり人や知る」 大正14年1月27日。中田みづほ渡欧送別句会。発行所。偶々より江来会。 若々しい自分を感じたのである。他人は知らないだろうが意識はすごく若いんだよと、「麦踏」の季語にのせた弾む思いが伝わってくる。…
【虚子探訪(117)】 「ばばばかと書かれし壁の干菜かな」 子供が「バババカ」と干菜を使って文字を作ったのだろう。壁一面の干菜にその文字を発見したのである。 「灯のともる干菜の窓やつむぐらん」 干菜がつるされた窓には灯りがともされ、女たちの機織りの…
【虚子探訪(116)】 酒井野梅其児の手にかゝりて横死するを悼む 「弥陀の手に親子諸共(もろとも)返り花」 大正13年。酒井野梅の弔句。痛ましい死に方であったが、今は親子共に仏様のもとへ帰って行った。 「行年(ゆくとし)やかたみに留守の妻と我」 大正13年1…
【虚子探訪(115)】 「水鳥の夜半の羽音やあまたたび」 大正13年11月。清原枴童上京偶会。発行所。水鳥の立てる羽音が夜間に何回も聞こえたことだ。 「北風や石を敷きたるロシア町」 大正13年11月30日。鮮満旅行より帰京歓迎句会。上野花山亭。集まるもの温亭…
【虚子探訪(114)】 「秋の蚊の居りてけはしき寺法かな」 大正13年。鮮満旅行の途次、10月14日平壤にあり。華頂女学院に於ける俳句会に臨む。正蟀、帆影郎、沼蘋女藤来る。韮城、橙黄子、雨意等同行。 秋の蚊がいるが、お寺の決まりに問題が起きそうな気配だ…
【虚子探訪(113)】 「暑に堪へて双親あるや水を打つ」 大正13年7月28日。発行所例会。暑さを我慢して堪えている両親がいる、水まきをして少しでも涼をとろう。虚子の両親はすでに物故しているので、一般人の親と考えればよい. 「月浴びて玉崩れをる噴井(ふけ…
【虚子探訪(112)】 「風鈴に大きな月のかかりけり」 大正13年7月27日。島村元一周忌(昨年8月26日歿追悼句会。妙本寺の墓に詣で島村邸に至る。 風鈴の掛けられた向こうに見えるのは大きな月。よい月がでている。風鈴が静かに揺れる。 「炎帝の威の衰へに水を…
【虚子探訪(111)】 「晩涼に池の萍(うきくさ)皆動く」 大正15年。晩方となり気温もようやく下がり、池の萍も動き出したよ。それにしても暑い日だったなあ。 「晩涼」は夏の季語。暑さのなかに感じる涼しさ。 「蚊の入りし声一筋や蚊帳の中」 大正13年6月。蚊…
【虚子探訪(110)】 「棕櫚の花こぼれて掃くも五六日」 大正13年5月13日。発行所例会。棕櫚の花が落ちたのを掃き掃除した。花の盛りは五六日のことである。「棕櫚の花」は夏の季語。 「老禰宜の太鼓打居る祭かな」 大正13年5月19日。発行所例会。お祭りの太鼓…
【虚子探訪(109)】 「天日のうつりて暗し蝌蚪の水」 大正13年。太陽の位置が移り、オタマジャクシのいる水が暗くなった。スナップショットのような写生句。 「さしくれし春雨傘を受取りし」 大正13年。春雨が降り出した。さしてくれた傘を受取ったよ。親切に…
【虚子探訪(108)】 「早苗籠負うて走りぬ雨の中」 大正12年。戸塚俳句会。苗を入れた籠を背負って、雨の中を走って行く人がいる。梅雨時の田植の一光景。 「月の友三人を追ふ一人かな」 大正12年10月22日。丹波竹田の泊雲居を訪ふ。旧暦9月十三夜、晴れて霧…
【虚子探訪(107)】 「笠の端早苗すりすり取り束ね」 早苗捕りをする人の笠の端に、次々と苗が抜き取られ束ねられていく。 「早苗籠負うて歩きぬ僧のあと」 早苗を入れた籠を背負って僧侶の後を歩いて行く人がいる。
【虚子探訪(106)】 「門前に蛍追ふ子や旅の宿」 宿泊した旅館の門前で子供が蛍を追いかけている。旅情を感じる景色。 「早苗取る手許の水の小揺(こゆれ)かな」 早苗取りの作業で、手元の水が揺れているのである。早苗を題に4句、写生句が続く。
【虚子探訪(105)】 「新涼の月こそかかれ槙柱」 大正11年8月31日。川崎俳句会主催新涼句会。大師内渉成園。会するもの、鳴雪、楽天、温亭、普羅、野鳥、風生、橙黄子等。 「新涼」は立秋以後の実際に感じる涼しさをいう。槙の柱の向こうに月がでているよ、涼…
【虚子探訪(104)】 「厚板の錦の黴やつまはじき」 厚い板に錦のようにカビが生えた。指先でカビを弾き取り除く。 「新しき帽子かけたり黴の宿」 大正10年。宿泊した宿に黴が生えているのを見つけたよ、新しく買った帽子を掛けたが、黴がつかないかちょっと心…
【虚子探訪(103)】 「人形まだ生きて動かず傀儡師」 大正10年1月11日。新年婦人俳句会。かな女庵。昨年10月、軽微なる脳溢血にかゝり、病後はじめて出席したる句会。「傀儡(かいらい)師」は人形遣いのこと。病後の体調はまだ本調子ではないよとの挨拶句。 「…
【虚子探訪(102)】 「藤の根に猫蛇相搏つ妖々と」 大正9年5月10日。京大三高俳句会。京都円山公園、あけぼの楼。藤の木の根元で猫と蛇が争っている。からみあう藤の木のようにその光景は、怪しげで不気味。 「どかと解く夏帯に句を書けとこそ」 大正9年5月16…
【虚子探訪(101)】 「山のかひに砧の月を見出せし」 大正8年。「かひ」は「峡」で山と山が迫っている所をいう。砧を打つ夜の仕事を照らし出す月明りを「 砧の月」と表現したもの。山あいに月を発見、砧を打つ音が夜に響く。 「冬帝先づ日をなげかけて駒ヶ嶽」…
【虚子探訪(100)】 「寝冷せし人不機嫌に我を見し」 大正8年。寝冷した人が、不機嫌な顔をして私を見ている。寝冷したのは私のせいとでも言わんばかり。見たのは誰だったのでしょうか。 「やうやうに残る暑さも萩の露」 大正8年。残暑もそろそろ終り。萩には…
【虚子探訪(99)】 「傾きて太し梅雨の手水鉢」 大正8年。梅雨で大雨が降り、手洗い用の手水鉢が傾いてしまった。手水鉢を見ると結構厚みもあり太くて大きいものだけに、激しい雨だったことがわかる。 「夕鰺を妻が値ぎりて瓜の花」 大正8年。夕方に行商から…
【虚子探訪(98)】 「昼寝せる妻も叱らず小商(こあきない」 大正8年。小さな商売をしている主人が仕事の休憩で昼寝をしているのである。主人がよく働いて大変なことを知っているから、妻は、昼寝を叱ることなく静かに寝かせてやるのが、主人へのいたわり。 「…
【虚子探訪(97)】 「夏痩の頬を流れたる冠紐(かむりひも)」 大正8年。能役者であろうか、冠をかぶり、その紐は頬をたれて顎の下で結ばれている。紐はきつく縛ってあるわけではなく、ゆるりとした感じ。「流れたる」の表現に、夏痩せした顔がリアルに描写され…