『俳句』新春座談会

『俳句』1月号の新春座談会「新時代、俳句はどうあるべきか」を読む。座談会の参加者は、司会役の関悦史、片山由美子、鴇田智哉、大西朋の4名。コロナと俳句、新時代に期待する俳人の話など面白く読んだが、一番共感したのは関悦史の『新聞記事は個別には全部ネットに移すことができても、整理部ないと一定の紙の面積の中で「これだけの面積を取ったからこの記事は重要だ」という評価を誰もできないわけですよ。』の発言。ネットはオープンに誰でも参加できるが制限がない。評価軸がない世界で、共通基盤がないため活動は孤立していて拡がりがないのである。整理して案内をするプラットフォーマーがこれから必要とされてくるだろう。

 

クラウドに慟哭満てり額の花

 

対馬康子の句。

 

仕事始め

今日から仕事始め。いきなり、アルバイトのコロナ感染者が出て対応策に追われる。

緊急事態宣言も出そうで、これまた対応に翻弄される日々になりそうな予感がする。

歌手の嵐は休業したが、コロナの嵐はこれから本番。

 

納豆と味噌汁仕事始めかな

高村光太郎「牛」

中日新聞のコラムと徒然舎のブログで高村光太郎の「牛」の詩が取り上げられていた。
今年は丑年だったな。牛歩という言葉を思い出した。


牛はのろのろと歩く
牛は野でも山でも道でも川でも
自分の行きたいところへは
まっすぐに行く
牛はただでは飛ばない、ただでは躍らない
がちり、がちりと
牛は砂を堀り土を掘り石をはねとばし
やっぱり牛はのろのろと歩く
牛は急ぐ事をしない
牛は力一ぱいに地面を頼って行く
自分を載せている自然の力を信じきって行く
ひと足、ひと足、牛は自分の道を味わって行く
ふみ出す足は必然だ
うわの空の事でない
是でも非でも
出さないではいられない足を出す
牛だ
出したが最後
牛は後へはかえらない
足が地面へめり込んでもかえらない

そしてやっぱり牛はのろのろと歩く
牛はがむしゃらではない
けれどもかなりがむしゃらだ
邪魔なものは二本の角にひっかける
牛は非道をしない
牛はただ為たい事をする
自然に為たくなる事をする
牛は判断をしない
けれども牛は正直だ
牛は為たくなって為た事に後悔をしない
牛の為た事は牛の自身を強くする
それでもやっぱり牛はのろのろと歩く
どこまでも歩く  (以下略)

箱根駅伝

正月の来客もコロナで無くなってしまったので、箱根駅伝をテレビ観戦。下馬評の5強は総崩れで、創価大が往路初制覇。各区でトップが入れ替わり、順位は変動し続けた。駅伝は一人の傑出したプレーヤーだけでは勝てない。チーム総力戦だが、勝利の女神はきまぐれ。創価大は、バランスよく走りがつながった。勝利の結果が出るまで何が起こるかわからない、だからスポーツ観戦は興奮するのだ。


年明けの朝一斉に走り出す

2021年元旦

昨日からの雪が少し積もり、白く輝く年明けとなった。長女が家に積もった雪を集めて雪ダルマを作ったので、写メをみんなに送る。屏風山系の山裾に暮らしているが、結構寒いのである。雑煮を作り、配達された年賀状をながめる。午後から施設の母を訪問、新年の挨拶をする。いつも通りのお正月で、今年も一年が始まった。


彼方より沈黙つれて六花


大学時代の仲間が、年賀状に私の俳句を書いて送ってくれた。ちょっとうれしい。


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大晦日

いつしか2020年も最終日。朝4時に目覚め、仲間内の携帯句会の編集作業。投句がまだ来ていない人もいるが、今年最後の句会。楽しみながら作業を進める。
部屋の本棚も、蔵書の大処分をしたにも関わらず、本があふれだした。早く読まないかと積まれた本の背表紙が懇願してくる。他に増えているのは診察券と体重だが、これは笑えない。もう人生の折り返し点はとっくに過ぎている。後は、ゆっくりと味わいながら生活したい。合言葉は「スロー」だな。


珈琲の皿に小さく冬日

仕事納め

本日、仕事納め。通勤の車もほとんど走っておらず、電車の乗客もまばら。年末年始は雪の予報だが、今朝は雨が降っていた。
午前中は月末の事務を片付けて、午後から大掃除。今年は、とにかくコロナに振り回された1年だった。コロナの感染拡大が気にかかるが、考えてみても仕方がない。身の回りをきれいにして、新しい年を迎えよう。


年新た押し寄せてくる未来かな