虚子探訪(36) 法隆寺

【 虚子探訪(36)】

 

「花提げて先生の墓や突当り」

 

明治38年8月21日。鴨涯、松浜と共に。供花を提げて亡き先生の墓参りをした。先生の墓は墓地の突き当りにある。先生がどういう人なのか、墓参りした人は誰なのかは省略されている、あとは想像するしかない。

 

「村の名も法隆寺なり麦を蒔く」

 

虚子が奈良の法隆寺を訪れた時の句。有名な法隆寺であるが、聞けば村の名前も法隆寺村という名であるとのこと。見渡せば、村のあちこちで麦蒔きがされているよ。

 

「冬の山低きところや法隆寺

 

明治38年11月26日。浅草白泉寺例会。冬の山の低いところに法隆寺はある、という句意。何の技巧もなく、ただそのまま放り出したような句である。東に笠木山脈、西に金剛山脈が走るその間に奈良平野があり、その中に大和三山がある。信貴山の尾根が低い丘陵となるあたりを背景に、世界最古の木造建築である法隆寺が建立されている。