鴇田智哉『エレメンツ』

正直言えば、私は鴇田智哉がわからない。わからないが句集は買って読む。半分以上の句は意味不明ないしは理解を超えている。このわからなさは何なのかを知りたいから読むのだ。最新句集『エレメンツ』(素粒社)の後書きを読んで、わからなさの秘密が少し見えた。「私は俳句を、記録や報告や手紙、あるいは日記とは違って、造形物とか音楽に近いものだと思ってきた。今もそう思っている。」俳句の前提が、鴇田智哉と一般的な俳句作者では異なるため、議論がかみ合ってこないのだろう。普通は「記録や報告や手紙、あるいは日記」もしくは「詩、文学」を目的として俳句を作っている。鴇田智哉の俳句は、「造形物」「音楽」を表現しようとする。在るものの原形、本質を五七五の文字のなかに表すためには、既存の俳句表現を逃れてはみ出すしかない。文法は崩され、視座は転換し、言葉の接合と切断、イメージの模索が続く。


しらぎれる吹いきゃらもんを飛ばらもん

句集の「らとみくす」より。