漱石の俳句観

夏目漱石の『草枕』を読んでいる。主人公は画家であるが俳句も作る。意外に俳句のことが出てきて面白い。作中に漱石の俳句に対する考えが記されているので抜粋してみる。


十七字は詩型として尤も軽便であるから、顔を洗う時にも、厠に上った時にも、電車に乗った時にも、容易に出来る。十七字が容易に出来るという意味は安直に詩人になれると意味であって、詩人になるというのは一種の悟りであるから軽便だといって侮蔑する必要はない。軽便であればあるほど功徳になるからかえって尊重すべきものと思う。まあちょっと腹が立つと仮定する。腹が立ったところをすぐ十七字にする。十七字にするときは自分の腹立ちが既に他人に変じている。腹を立ったり、俳句を作ったり、そう一人が同時に働けるものではない.。ちょっと涙をこぼす。この涙を十七字にする。するや否やうれしくなる。涙を十七字に纏めた時には、苦しみの涙は自分から遊離して、おれは泣くことの出来る男だという嬉しさだけの自分になる。


「これが平生から余の主張である」と草枕の主人公は言うが、漱石の俳句観とイコールだろう。漱石が俳句を愛した訳がわかる。


時鳥厠半ばに出かねたり


漱石の句。