笑いのある生活

私は「歩けなくなったらアカン」「笑えなくなったらアカン」と思って暮らしてます。泣くのは自分一人でもできるが、笑うのは笑わせてくれるものがないと笑えないのだね。手っ取り早く笑うには土屋賢二のエッセイを読むのが一番。


 もちろん外見は中身と一致しない。わたしはゴミに見えるかもしれないが、ゴミではない。見た目は高齢者だか、中身は子どもだ。「子どもじみている」とか「大人げない」と言われるのがその証拠だ。
 わたしの内面を正直に言うと、中身はなく、深みもないが、裏表はある。最低だと思うかもしれないか、深みといっても実際には重々しい声やもっともらしい顔つきをして、貧乏ゆすりをせず、思わせぶりなことを言う以上に何があるのか。


文春文庫『年はとるな』の「人は見た目が10割」より。