計画運休

台風2号と梅雨前線の影響で、2日は大雨。昼食に外に少し出ただけで、ズボンはびしょ濡れ。通勤に使うJR中央線は11時頃には高蔵寺以降の計画運休を発表。午後には面談の約束もあり、宿泊を覚悟する。仕事を終え、名古屋栄のサウナフジを予約。店内で一人晩酌、そのまま就寝。翌朝6時すぎに会計精算して千種駅へ移動。多治見までの便はあるが、瑞浪へは8:30まで電車がない。仕方がないので、駅近くのコメダでモーニングを食べながら時間調整する。薬が切れて心臓が踊る。とんでもない日になった。

 

復旧の電車待ちたる梅雨晴間

ともだち

1日は会社を休み、幼馴染みの葬儀に参列。保育園、小中学校が一緒、大人になってからも、旅行へ行くなどして遊んだ。LINEに入った突然の訃報に驚く。最後に会ったのは去年の8月、大動脈乖離になったが一命を取りとめ、元気な姿で話をしていたが。建築士設計事務所を立ち上げて独立。飄々とした人間だったが、両親と奥さん、中学生の娘を残して逝ってしまった。

一人また一人と、友人達がいなくなる。これが歳をとるということか。飲む酒がしみる夜である。

 

梅雨入りぬLINEに友の訃報あり

梅雨入り

5月29日(月)九州北部、中国、四国、近畿、東海の各地で梅雨入りの発表がされた。会社帰りは強い雨が降り、まっすぐ帰宅。いよいよ傘が手放せない季節になった。

ぐっすりと眠りたい、というのが最近のささやかな望みである。今日からパジャマを半袖に変えてみた。句会の締切は近いが、まだ1句できただけ。

 

吊皮にごとりとうごく梅雨の街

 

横山白虹の句。

杉原千畝

会社の近くには「命のビザ」で知られる杉原千畝を記念した「人道の道」の起点がある。27日に杉原千畝の故郷八百津町を訪れ、杉原千畝記念館と人道の丘公園のパイプオルガンを模したモニュメントを見学する。杉原がビザ発給によりユダヤ人6000人の命を救った。官僚として、重い決断だったことは容易に想像できる。『たいした事をしたわけではない。当然のことをしただけだ。』杉原の言葉が素晴らしい。美談だが、生死に関わるユダヤ人迫害の状況を作り出したのも人間。戦争も殺戮もなくならないのが恐ろしい。

 

小川軽舟、蛇笏賞受賞

小川軽舟氏の『無辺』が、第57回蛇笏賞を受賞した。蛇笏賞は高齢者の受賞が続き、句集評価よりも俳句界への功労賞みたいになっていたが、若返りが図られ清新な感想をもった。小川軽舟は学年でいえば2年下で同世代。サラリーマン生活を詠んだ句は同感できるものが多かったが、『無辺』はさらに一歩踏み込んだ新境地を展開している。サラリーマン生活もあと数年だろうが、一層の活躍を期待したい。

 

 

元日や見渡すかぎりものに位置

 

バーベキュー薫風汚すこと楽し

 

神に酒仏に水や鉦叩

 

大阪を地下に乗り継ぎ近松

 

水底に欠茶碗あり蜷の道

 

ニュータウンの小さき葬式月静か

 

アマゾンの箱破る快クリスマス

 

新緑やこどもの頃のひかり号

 

まだ詰まる着ぶくれ電車まだ詰まる

 

かあさんと墓を呼ぶ父冬日差す

 

句集『無辺』より10句。

青畝俳句のユーモアと諧謔

「南風」5月号に掲載した記事の転載です。

 

 阿波野青畝は、高浜虚子が主宰したホトトギス第二期黄金期を担った水原秋桜子、高木素十、山口誓子と並ぶ四Sの一人。俳誌『かつらぎ』を主宰して、一九九二年心不全のため九十三歳で永眠するまで、俳句界を牽引した。青畝俳句の評価は多岐にわたるが、最大の特徴は、俳句の持つ温かみにありユーモアをたたえた句柄は四Sの中でも一番であろう。第一句集の『萬両』は、「望郷の自然詩」と作者がいい、人口に膾炙した有名句が並ぶが、すでにユーモア溢れる句を拾うことが出来る。

 をかしさよ銃創吹けば鴨の陰
 念力も抜けて水洟たらしけり
 案山子翁あち見こち見や芋嵐
 狐火やまこと顔にも一くさり
 露の虫大いなるものをまりにけり

 では、ユーモアとは何か。ユーモアとは人を和ませる「おかしみ」のことと説明されるが、明確な定義をしようとすると難しい。人間への愛情を出発点として、そこを土台に人間観察を行い、人間のおかしなところを愛情をこめて描くのがユーモアということであり、そこに独特の滑稽さが生まれるとされている。おもしろさと共感が混り合った状況を描写する言葉または動作による表現を、日本では「諧謔」と呼んできた。
 阿波野青畝は、耳疾のため進学を断念し、生涯難聴に苦しんだ。若くして故郷の奈良を離れ大阪の阿波野家に婿入りする。封建的な商家の生活、最初の妻貞を病気で亡くし、戦争で自宅焼失、次の妻秀も昭和二十年に死別した。また長女多美子を五十二歳の時に亡くしている。家庭的にも恵まれた訳ではなく不幸な出来事が続いた。昭和二十二年に青畝はクリスチャンとして洗礼を受けている。川崎展宏が追悼文の中で、青畝がキリスト教に入信した理由について書いている。

「先生は、ちょっと身を乗り出すようにされて、大きな声で「人間、一生のうちには、何かに頼りたいと思う時があるでしょう」。私が「それはあります」というと「そういうときおすがりすればいいのです」といわれた。」

 自身の障害や家庭内の不幸な出来事を乗り越えて、「かつらぎ」主宰として俳句の道を邁進した。青畝は境涯俳句を詠むことはせず、あくまでも自然の中に詩を追及して、やがてユーモア溢れる自由自在の境地に到達したのである。虚子門として客観写生に従ったが、青畝にあっては、主観客観は表裏一体のものであり、目の前にあるものをそのまま詠むのではなく、目の前にあるものを見て生じる印象を詠む写生であり、独自性を保ちながら伝統の中での新しさを不断に実作で追及した。

妻のとい子によれば、晩年の青畝は空気か水みたいな人で全てに淡々として、ただ居るだけで安心感があり、他へは柔らかく自分に厳しい人だったと伝えている。青畝は常に自然と言うことを口にし、自然との同一化を求めそこから生まれてくるものを俳句にした。取り込んだ素材を落しこみ、自分の中で練り上げて俳句の言葉にする作業が不断に繰り返される。即刻の感興の表現は時に詩となり時にユーモアとなり十七音に顕現するのである。春陽堂俳句文庫の村上護との対談にある「私は読者に愛を感じさせなければいけないと思っています。どんなことを詠んでも、不愉快な感じを与えるのではよくない。苦しさの見える句であっても、そこに救いが得られるような気持ちを与えなくてはいかんと思う。だから写生といっても、ただ温かさだけのものではなくて、ああ、こんな楽しみがあるなあ、と読んだ人に思ってもらえればいいですね。」青畝の発言こそが、青畝俳句の本質を伝えていると思うのである。「人々が、気づかないところにもこんな落としものがある、日常のどこかにも落ちているものがある、それを見つけてものにしようと望んでいます。」だからこそ、青畝俳句は常に新しいのである。
 七十歳から八十歳代の句集『不勝簪』『あなたこなた』『除夜』あたりの句は、自由奔放、融通無碍といったら言い過ぎだろうか。句集名からして人を食っている。『不勝簪』は杜甫漢詩「春望」からだが、意味は「私の白髪頭はかけばかくほど抜けまさり、まったくもってかんざしをさすにも耐えかねそうだ」というのである。『あなたこなた』の句集名も、『愚管抄』の平清盛の姿を記した「よくよく慎みて、いみじく計らいて、アナタコナタしける」からだ。「あちらもこちらも」と名付けたら面白いだろうと企んだのかもしれない。

『不勝簪』より

 武者さんの画にはなりさう種の薯
 鯥五郎鯥十郎の泥試合
 浮いてこい浮いてお尻を向けにけり
 風の日も股をひらきて女郎蜘蛛

『あなたこなた』より

 寒鯉の大きな吐息万事休
 木魚ぼくぼく谺ぼくぼく永き日を
 
『除夜』より

 皺苦茶にならねばならぬ唐辛子
 出刃を呑むぞと鮟鱇は笑ひけり
 隙間風十二神将みな怒る

『西湖』より

 初湯殿卒寿のふぐり伸ばしけり

俳句は極楽の文学であると虚子は言ったが、初湯にゆったりとつかり、ふぐりをみてくつろぐ姿に体現されているかのようだ。湯殿から青畝の『長生きすると得でっせ』の声が聞こえてくる。

調子が出ません

テンション下りまくりで何もする気にならない。ブログも休みまくり、ネット句会も出し忘れてしまった。

睡眠が上手く取れないことから、全ての不調は始まっている。ぐっすり眠れなくなって久しい。身体はだるいし、スカッとしない日々。

心機一転したいものです。

 

倒れたる案山子の顔の上に天

 

西東三鬼の句。