青畝俳句のユーモアと諧謔

「南風」5月号に掲載した記事の転載です。

 

 阿波野青畝は、高浜虚子が主宰したホトトギス第二期黄金期を担った水原秋桜子、高木素十、山口誓子と並ぶ四Sの一人。俳誌『かつらぎ』を主宰して、一九九二年心不全のため九十三歳で永眠するまで、俳句界を牽引した。青畝俳句の評価は多岐にわたるが、最大の特徴は、俳句の持つ温かみにありユーモアをたたえた句柄は四Sの中でも一番であろう。第一句集の『萬両』は、「望郷の自然詩」と作者がいい、人口に膾炙した有名句が並ぶが、すでにユーモア溢れる句を拾うことが出来る。

 をかしさよ銃創吹けば鴨の陰
 念力も抜けて水洟たらしけり
 案山子翁あち見こち見や芋嵐
 狐火やまこと顔にも一くさり
 露の虫大いなるものをまりにけり

 では、ユーモアとは何か。ユーモアとは人を和ませる「おかしみ」のことと説明されるが、明確な定義をしようとすると難しい。人間への愛情を出発点として、そこを土台に人間観察を行い、人間のおかしなところを愛情をこめて描くのがユーモアということであり、そこに独特の滑稽さが生まれるとされている。おもしろさと共感が混り合った状況を描写する言葉または動作による表現を、日本では「諧謔」と呼んできた。
 阿波野青畝は、耳疾のため進学を断念し、生涯難聴に苦しんだ。若くして故郷の奈良を離れ大阪の阿波野家に婿入りする。封建的な商家の生活、最初の妻貞を病気で亡くし、戦争で自宅焼失、次の妻秀も昭和二十年に死別した。また長女多美子を五十二歳の時に亡くしている。家庭的にも恵まれた訳ではなく不幸な出来事が続いた。昭和二十二年に青畝はクリスチャンとして洗礼を受けている。川崎展宏が追悼文の中で、青畝がキリスト教に入信した理由について書いている。

「先生は、ちょっと身を乗り出すようにされて、大きな声で「人間、一生のうちには、何かに頼りたいと思う時があるでしょう」。私が「それはあります」というと「そういうときおすがりすればいいのです」といわれた。」

 自身の障害や家庭内の不幸な出来事を乗り越えて、「かつらぎ」主宰として俳句の道を邁進した。青畝は境涯俳句を詠むことはせず、あくまでも自然の中に詩を追及して、やがてユーモア溢れる自由自在の境地に到達したのである。虚子門として客観写生に従ったが、青畝にあっては、主観客観は表裏一体のものであり、目の前にあるものをそのまま詠むのではなく、目の前にあるものを見て生じる印象を詠む写生であり、独自性を保ちながら伝統の中での新しさを不断に実作で追及した。

妻のとい子によれば、晩年の青畝は空気か水みたいな人で全てに淡々として、ただ居るだけで安心感があり、他へは柔らかく自分に厳しい人だったと伝えている。青畝は常に自然と言うことを口にし、自然との同一化を求めそこから生まれてくるものを俳句にした。取り込んだ素材を落しこみ、自分の中で練り上げて俳句の言葉にする作業が不断に繰り返される。即刻の感興の表現は時に詩となり時にユーモアとなり十七音に顕現するのである。春陽堂俳句文庫の村上護との対談にある「私は読者に愛を感じさせなければいけないと思っています。どんなことを詠んでも、不愉快な感じを与えるのではよくない。苦しさの見える句であっても、そこに救いが得られるような気持ちを与えなくてはいかんと思う。だから写生といっても、ただ温かさだけのものではなくて、ああ、こんな楽しみがあるなあ、と読んだ人に思ってもらえればいいですね。」青畝の発言こそが、青畝俳句の本質を伝えていると思うのである。「人々が、気づかないところにもこんな落としものがある、日常のどこかにも落ちているものがある、それを見つけてものにしようと望んでいます。」だからこそ、青畝俳句は常に新しいのである。
 七十歳から八十歳代の句集『不勝簪』『あなたこなた』『除夜』あたりの句は、自由奔放、融通無碍といったら言い過ぎだろうか。句集名からして人を食っている。『不勝簪』は杜甫漢詩「春望」からだが、意味は「私の白髪頭はかけばかくほど抜けまさり、まったくもってかんざしをさすにも耐えかねそうだ」というのである。『あなたこなた』の句集名も、『愚管抄』の平清盛の姿を記した「よくよく慎みて、いみじく計らいて、アナタコナタしける」からだ。「あちらもこちらも」と名付けたら面白いだろうと企んだのかもしれない。

『不勝簪』より

 武者さんの画にはなりさう種の薯
 鯥五郎鯥十郎の泥試合
 浮いてこい浮いてお尻を向けにけり
 風の日も股をひらきて女郎蜘蛛

『あなたこなた』より

 寒鯉の大きな吐息万事休
 木魚ぼくぼく谺ぼくぼく永き日を
 
『除夜』より

 皺苦茶にならねばならぬ唐辛子
 出刃を呑むぞと鮟鱇は笑ひけり
 隙間風十二神将みな怒る

『西湖』より

 初湯殿卒寿のふぐり伸ばしけり

俳句は極楽の文学であると虚子は言ったが、初湯にゆったりとつかり、ふぐりをみてくつろぐ姿に体現されているかのようだ。湯殿から青畝の『長生きすると得でっせ』の声が聞こえてくる。