三好達治の俳句観

三好達治の俳句観を『俳句鑑賞』の抜粋で追いかけてみたい。

芭蕉の「行く春を近江の人とをしみける」の鑑賞から

「簡単なようでも、俳句は抜きさしならぬもので、ちょっとちがえばすぐ全体の調子が変ってしまう。芭蕉がたびたび句を直す苦労をかさねたのも、この短い詩形では、わずか一字一句のむだや不調和が、全体をだめにしてしまうからである。」


去来の「岩鼻やこゝにもひとり月の客」の鑑賞では

「文芸は、作者の感動を言葉で描くものだが、言葉はやはり不完全だから、どうしてもすべてをいいあらわすことはできない。また同じ言葉でも、作者と読者がかならずしも同じに感じるものではない。ことに俳句は、十七字の短いものだから、情景をじゅうぶん説明できず、たいせつなところだけをとり出し、あとは読者の受けとり方にまかせるものである。だから、読者が言葉に対する敏感さと、深く鋭い心をもっていれば、同じ俳句でも、それだけ深く美しく感じられる。」


『季語別 鈴木鷹夫句集』(ふらんす堂)届く。「渚通り」から「千年」までの5句集を、季語別に分類。