俳句の縦書き

俳句が縦書きだろうが横書きだろうが、詩の成立に何も関係ないと思うのである。一部俳人は、縦書きでなければならないと固執されるが、どうなんだろう。『俳句の深読み』という本には、後藤夜半の「滝の上に水現れて落ちにけり」は縦書きだから名句!としているが、上から下への滝の水の運動方向と縦書き俳句の読む方向の類似性にすぎない。一部の上下感覚のある俳句を例として普遍的なものとするのは無理があるだろう。俳句の解釈は人それぞれだが、なんかなあと思う。


秋の航一大紺円盤の中


中村草田男の句。