『将棋の渡辺くん』第6巻発売

将棋の渡辺明名人は、『週刊新潮』に将棋コラムを連載している。今週号の記事で『将棋の渡辺くん』の第6巻が出たことを知る。『将棋の渡辺くん』は渡辺明名人の奥さん伊奈めぐみ月刊少年マガジンに連載している渡辺明名人をネタにしたノンフィクション漫画である。今週は奥さんの本の宣伝をして提灯持ちをしたわけですね。このマンガ、渡辺明名人のキャラクターがユニークで私も5巻まで愛読しました。いかんせん月刊誌の連載で分量が少ないので1冊の量になるのに時間がかかる。第6巻は、藤井聡太6冠の登場により、渡辺明名人が失冠する現場が描かれており今までにない話の展開に一気読みしました。将棋界実に面白し。

 

稲妻や将棋盤には桂馬飛ぶ

 

吉屋信子の句。

セネカ『生の短さについて』

夜中の2時過ぎに目が覚めて眠れなくなる。仕方がないので岩波文庫セネカ『生の短さについて』を読みだす。

 

人の生涯は、たどり始めた道をたどり、踵を返すことも、歩みをとどめることもない。それは騒がしい物音一つ立てもせず、矢のごとき光陰の速さを戒めてもくれない。生は粛々と流れ行くもの。王の権力をもってしても、世人の人気をもってしても、長くすることはできない。生は出発点となったその日から走り出し、そのままに駆け行く。

 

鴨長明の「方丈記」を読んでいる様な気分。ストア派の哲学者セネカの言葉は詩人の呟きに似ている。皇帝ネロに自決を命じられたセネカは、最後まで従容として死に臨んだ。

『釣りバカ日誌』新展開

最初号のビッグコミックオリジナルを手にとり、『釣りバカ日誌』を読み始めたら、浜ちゃんの妻ミチコさんが、第二子懐妊の衝撃発表。109巻まで来ている長寿マンガだが、ここに来て鯉太郎に弟か妹が出来るとは、本当にびっくり。そもそも浜ちゃんて今何歳?連載が長いので大ベテランのおじさんとばかり思っていました。話がマンネリ化しないように新たなネタも必要だから大歓迎だが、さていつまで『釣りバカ日誌』続くのだろう。


釣りに出る品川沖や雲の峯


野村喜舟の句。

本棚の風景

本棚を眺めるのが好きである。だから書店もブックオフも頻繁に行く。自分の部屋にも同じような風景を作りたくて書棚をならべる。この傾向は学生時代からであり、大学生時代に住んでいた四畳半下宿に5段のスチールラックを並べ、本の背表紙を見ながら一人恍惚としていた。まあ、本があれば幸せなのだ。その結果本が溢れることになる。


啓蟄や棚からはみ出す文庫本


認知症

長寿社会になって、認知症という言葉もすっかりお馴染みになっている。死ぬことも嫌だが、ボケるのも嫌だ。認知症の進行状況も介護の話題にはつきもの。認知症も完治の見込めない病気だから、厄介である。


おもふさま惚けたまへよ花さけど花ちれど父のさくらはわたし


小島ゆかりの歌。もし私が認知症になったらわが娘はなんと思うのだろう。

新タマネギ

スーパーには、この時期新タマネギが並ぶ。新玉ねぎは、収穫後すぐに出荷された玉ねぎ。収穫されたばかりであるため、皮が薄くて柔らかい。乾燥が進んでいないため水分が多くみずみずしい。晩酌のつまみは、スライスしてカツオ節をドバッとふりかけ、醤油をかけ回して一丁上がり。レンジでチンして、バターやチーズをのせるのも旨い。新タマネギは、生ではシャキシャキとした食感で、加熱した場合はとろとろになる。一玉ぐらいは軽く食べられます。


新玉葱研ぎしばかりの刃に応ふ


岡本まち子の句。

ミロ展

愛知県美術館で開館30周年を記念して『ミロ展』が開催されている。ミロは、スペインのバルセロナ出身の画家で、ピカソやダリと並ぶスペインの巨匠である。美術図鑑を開いても、その独特の絵は印象に残るが理解を超えていた。率直に言えば苦手なのだが、紹介記事を読むとミロは大の日本好きで、浮世絵や俳句を通じて日本に憧れていたという。俳句に関心があったと知れば贔屓したくなるというもの。運動不足解消に散歩がてらミロ展に出かける。実物を見ても相変わらず作品はよくわからなかったが、それでもミロが詩と絵画を区別せず同一のものとして表現しようと格闘したことは感じる。文字が絵画となり、線が感情となり、誰も描いていない世界を実現させた、その凄さに興奮を覚えた。


ミロの鳥浮かれだしたる夕立かな


仙田洋子の句。