黒崎善四郎

北村薫のうた合わせ百人一首』(新潮文庫)を読んでいる。この本超絶面白い。解説の三浦しおんは、「本書をふがふが読んだ」とあるが、現代短歌のめくるめく世界を散策できる。

黒崎善四郎の介護5の妻を詠んだ歌群が胸をうつ。

 

東京にもこんなに綺麗な秋晴れがあるかと見ればあなたの忌日

 

五十年後 黒崎善四郎という名さえ墓さえ子孫さえ

 

平成23年この歌を残して黒崎は亡くなった。

 

自分がおじいさんになるということ

おじいさんと呼ばれるのはいつからなのだろう。年金をもらいだしたらか、孫ができたらか。

意外に本人は自覚が無い、体力が落ちて薬のお世話になっているにも関わらずだ。爺さんと呼ばれるのは後期高齢者になってからだなと、身勝手極まりない。

勢古浩爾の同タイトルの本も数年前に買って読み、本棚に挿したままだったのを、暇つぶしに読み直してみた。フツーの老人の生活はこんなものかなと共感する。病気にもなれば手術もする。勢古も76歳か、健康寿命は80歳台だから、まだまだ老後生活もこれから。先輩爺さんの姿、参考にさせて貰おう。

 

じいさんは爺さんとして雲の峰

 

 

サクランボ

サクランボが旬を迎えている。スーパーにパックがずらりと並んでいるので、一つ購入。サクランボは好物なので季節になったら、買わずにはいられない。サクランボの生産は、7割が山形県であり、私の買ったのも山形産である。サクランボでも『佐藤錦』は糖度が高く、甘みも食感もよい。一粒が小さいので、ついつい食べ過ぎてしまう。昔のサクランボは、シロップ漬けされた冷麦にちょこんと一個のせられていたり、あんみつの中のサクランボが輝く赤色を放っていたのを思いだす。流通が発達して新鮮なサクランボが食べられるのは幸せなことだ。

 

茎右往左往菓子器のさくらん

 

虚子の句である。

 

すぼめたる唇に茎さくらん

 

クドウ氏の句。

 

 

和田誠展

Amazonから『和田誠展』の公式図録が届く。厚さ5センチはあるかな、83年の和田誠の画業が一冊にまとめられ、どこを開いても楽しい。

和田誠が亡くなったのが2019年で、現在巡回展が開催中であり、現在は京都で18日まで。この秋には刈谷市美術館で開催予定、これは楽しみ。

日本人で和田誠の絵を見たことがない人はいないのではないか。イラストレーターの仕事を日本に根付かせた第一人者。和田誠のイラストが書かれた本を何冊買ったことか。そして毎週読んだ週刊文春の絵も和田誠だった。映画監督でもあり、エッセイも巧み、才能溢れる人だった。

 

お楽しみはこれからだと夏は来ぬ

お早ようございます

午前五時、目が覚めた。朝の冷気を身体に感じる。カーテン越しに、囀る鳥の声が聞こえる。カラスもたまになく。川の水音は絶え間ない。蛙が鳴いた。自動車の音、もう動いている人がいる。一日の始まりはそれぞれ。日曜日はしっかり休んだので、体調は良し。まずは朝飯を食べよう。そして一週間また頑張ろう。

 

牛乳をなみなみと六月の朝

『滑走路』

『クドウ、萩原慎一郎っていう歌人知っているか?』と、3年ぶりの大学時代の仲間の飲み会の二次会で友人Sが聞いてくる。萩原と聞いて私が思い浮かべたのは、萩原裕幸。『滑走路という歌集出してるんだけど』。歌集『滑走路』が書棚にあること、映画にもなり角川文庫にもなったことを思いだす。唐突にSは歌集の短歌一首をスラスラと読み上げた。

 

きみのため用意されたる滑走路きみは翼を手にすればいい

 

大学生2人の父であるSは、滑走路の言葉の向こうに子供たちの未来を幻視したのだろう。Sは我々の句会では飲み会専門のメンバーで、俳句は作らず詩歌なんて無縁な人と思っていたので、意外な裏切りにビックリである。詩歌は人の心を動かす力があることを再認識した夜。

山崎方代

山崎方代という歌人がいた。

ときおり、方代の歌を読み返す。

 

こんなにも湯呑茶碗はあたたかくしどろもどろに吾はおるなり

 

ねむれない冬の畳にしみじみとおのれの影を動かしてみる

 

人間はかくのごとくにかなしくてあとふりむけば物落ちている

 

ぐっすり眠りたい。ささやかな望みであります。