虚子探訪(12) 笛ふく人

【虚子探訪(12)】

 

「橋涼み笛ふく人をとりまきぬ」

 

明治31年7月22日。「5月以来母病気のため松山にあり。8月に至る。」と注あり。納涼風景として実際にこうした光景があったのだろう。そしてそれは、母を看取る家族の光景とのダブル・イメージでもある。

 

「星落つる籬(まがき)の中や砧うつ」

 

明治31年。11月に母柳、73歳で死去。ありし日の母を偲んだ追悼句。籬(まがき)は、竹や芝で編んだ目の荒い垣根。砧(きぬた)は、木槌などで柔らかくするために布地をうつ時に下にしく木や石の台、また打つことをいう。砧を打つのは女性の仕事だった。